「つくばマラソン」の鍋倉先生によるスペシャルコラム vol.1

人生1度はマラソンを走ってみよう!

東京マラソンの成功に続き、神戸、大阪、京都など、関西でも大都市における市民マラソン大会が開催されるようになりました。
本学が主催者になっている「つくばマラソン大会」も、インターネット経由のエントリー開始からわずか4時間で定員(1万6千人)に達すると言う狂騒ぶりです。
このマラソン熱は、「第2次マラソンブーム」と言われています。「そんなこと知らない」という方は、11月25日に開催されるつくばマラソン大会にぜひ応援に来てみてください。
普段見慣れたループ道路が、1万を越すランナーたちに占められる姿は圧巻です。

このマラソンを完走することを目指した自由科目・体育「つくばマラソン」は今年で21年目を迎えました。
その間1,800名を超える学生のマラソン挑戦を見届け、今年も約200名の受講生が走ります。

2011年「つくばマラソン」受講生スタート前の集合写真

マラソンブーム

ループを埋め尽くすランナー

このブームを支えているのは、「若い女性」というのがもっぱらの評判です。ランニングウェアもスポーツパフォーマンスを考えた機能性だけではなく、ファッショナブルなものが増えています。「ランスカ」とか「ランドレ」など、何を意味するか分かるでしょうか?
それぞれ、ランニングスカート、ランニングドレスの略で、そのまま街歩きもできる、という観点で開発されてきました。
現在、レースに参加し、フルマラソンを完走する人の数は、年間で20万人を超えるようになりました(2010年)。
その数は、20年前に比べおよそ3倍です。つくばマラソンの授業の受講生も21年で約3倍に増えていますので、世相通りと言えます。このうち、年齢や性別を詳細にみると、完走者の18%が女性(2010年データ)で年々増えていると
はいえ、5分の1にも満たないのが実情です。ちなみにアメリカで同じ調査をした2005年のデータでは、41%が女性でした。そういう意味では、女性は増えているけどまだまだ少ない、と言えます。
年齢はどうでしょう?1歳刻みの年齢別にみると、女性のピークは20代後半~40代前半で確かに若い人が多いのですが、1992年のデータと比べて突出して多くなっているのは、50代、60代以上のランナーです。


マラソンの魅力

なぜ、これほど多くの人がマラソンに魅了されるようになったのでしょう?僕自身の研究テーマのひとつに「人はなぜ走るのか?」の探求があります。大げさなものではなく「なぜ走りだしたのか?」、「なぜ続けているのか?」といった、問いかけかもしれません。

きっかけは「健康」、続いている理由は?

レースに出場しているような方でも、初めから「レースが目的」という人は少なく、何らかの他の理由で走り始め、それが高じて止められなくなった人の方が多いのが実情です。健康への不安だったり、減量のためだったり、内面的な動機だったり・・・。
市民ランナーの「走り始めた動機」を調査すると、8割程度の人が「健康、減量」などの身体の変化・改善を求めていたことがわかっています。ところが、1年以上継続しているランナーに、現在も「走り続ける動機」について聞くと、「健康や減量のため」と答えるランナーはほとんどなく、その代わり「レースなどでの自己実現」、「仲間との交流」、「心の安定」など挑戦や生活の潤いを求めて走り続けていることがわかります。

記録と勝利を求めて

僕自身、学生時代は記録と勝利を求め走っていました。しかし、大学2年次に椎間板ヘルニアを発症し、走るどころか歩くこともできなくなり、手術を余儀なくされました。このとき、チャンピオンスポーツに自ら終止符を打ったのです。
大学院時代もほとんど走ることなく過ごし、そして、現在の職について出会ったのがマラソンでした。競技は学生時代にあきらめたはずなのに、やけぼっくいに火がついたのでしょうか。トレーニング計画や方法について考えて走るうちに、面白いように記録が向上し、記録を求めて走る日々が再び始まりました。しかし、それがいつまでも続くわけはありません。やがて、向上は望めなくなり、同時に、ちょっと走っては脚を痛めるようになり、強いトレーニングができない状況になりました。

ランニングの世界の拡大

そこで僕は、ファンラン、盲人ランナーの伴走、ボランティア・ランなど、記録とは別の側面で走る世界を広げる取り組みに力を入れ始めました。そこで、次の疑問が生じました。ランニングの世界は、走るキャリアが長くなるほど、深まるものか、それとも広がるものか・・・?ある一つの価値(例えば記録)を追求して走るのは、深めていく行為のようだし、様々な走り方をするのは広めていく行為のように思えます。

今日、僕が走る理由

2011年のつくばマラソン」授業Tシャツ

レースだけにこだわらなくなった今、僕が走る理由は・・・・、気持ちよいから、身体をシャープに保ちたいから、授業があるから、美味しくビールが飲めるから、一人になりたいから、朝早起きしたから、夕焼けに感動したから、知らない街だから、けんかしたから、考えをまとめたいから、汗をかきたいから、追い込みたいから、時間ができたから、時間がないから、走りたいから・・・。
走る理由はいくらでもあるし、毎回違う理由だったりします。もっと言えば、理由がなくても走ります。ご飯を食べ、排泄し、寝るという生命の営みそのもののように。


意欲や勇気の源泉、そして生活の一部

僕の場合、おそらく走ることを通して人間らしい欲を生んでいるのだと思います。走れば、自分自身を見つめなおし、内面と向き合う時間がもてます。美味しいものを食べたくなるし、ビールを飲みたくなります。さらに、誰かと一緒に走りたくなるし、誰かと競いたくもなります。すなわち、走ることによって、生きる基本となる意欲や欲望、そして勇気が得られるのです。僕にとって、走ることは生きることそのものなのです。
走りたくなくても強制的に走る機会(授業や講習会など)があることを、今では幸いに思います。たとえ怪我をしていても走り続けている僕にとって、走ることは特別なことではなく、食事や睡眠と同じような、日常の欠かせない、いわば生活の一部なのです。子どもにとって遊びは大切な生活の一部で、遊びの時間を取り上げたら、子どもはおかしくなってしまうでしょう。僕にとって走ることとは、そんな生活の一部なのかもしれません。

「無理、無茶、無駄」な取組?

第25回つくばマラソンスタートの様子

さて、話を皆さんにマラソンを進める話に戻します。マラソンは、走ろうと心に決めて実践を始めたその時から、スタートします。マラソンの42.195kmという距離を最初から実感できる人はいません。すべての初心者は、最初その高ささえ想像できないような壁を前にして、現実に泣いたり、叱咤したり、苦しんだりしながら、少しずつその距離や困難さを現実感のあるものにしていきます。自分の身体と対話しながら、その作業を繰り返していくのがマラソンです。
快適で効率的な利便性が求められる今のご時世だからこそ、その対極にあるかのようなマラソンに対峙していく価値があるように思います。無茶だと思うこと、無駄だと思うことに無理して頑張ってみる。マラソンは「無理、無茶、無駄」への取り組みです。さあ、みなさん人生に1度はマラソンを走ってみませんか?


鍋倉賢治

 
鍋倉賢治
1963年生まれ
1991年 筑波大学大学院博士課程体育科学研究科修了・教育学博士
筑波大学体育系 教授
(主な担当授業:ジョグ&ウォーク、つくばマラソン、ウィンドサーフィン)
ランニング学会副理事長
専門は体力学、ランニング学
モットーは「楽しく追い込む」
マラソンベスト記録は2時間29分09秒